2004年11月30日

断乳

玲真も、いよいよ断乳のとき。

もともと母乳とミルクとを併用してきたので、母乳が無くてもミルクがあれば夜はぐっすり眠る。途中で起きても、かみさんが抱っこすれば(父親ではダメ)そのまま寝てしまうので、もう母乳は必要無いようだ。

これでかみさんも、おおっぴらに酒が飲めるー。

2004年11月27日

ツーカーSの評判

ツーカーS、巣鴨の街に歓迎される

‥開発者の「黒電話のような携帯を」という狙いは、十分に巣鴨のお年寄りにも伝わっていた。しばらく使ううちに「ああ、黒電話みたいなものなのね」と言って納得する人も少なくない。‥

なるほど。
開発する前のリサーチが間違っていなかったことを証明する結果ということなのだろう。
まだ携帯電話が普及していない年齢層を掘り起こすのには有効な端末なのかもしれない。

こういう端末を作って売り出すことができてしまう(許されてしまう)、Tu-Ka。嫌いではないのだけど‥。‥けど、‥もうちょっと若者の方にも、‥目を向けてもらえるとうれしいなあ‥。

2004年11月26日

skype(スカイプ)

最近何かと話題の、IP電話を実現するためのフリーソフト『skype(スカイプ)』。ちょうど、同僚が上海に出張中なので、試しに使ってみた。

ノートPCにインストールして、マイクとスピーカーはPCに付属のものを使用。
インストールはごく簡単。特別な設定をする必要もなく、あっさりと接続できた。

音質は評判通り、かなり良好。
タイムラグは、別PCのMSNメッセンジャーでテキストチャットをしながら計測したところ、2〜3秒程。これば日本←→上海のネットワーク環境が一番の原因だろう。慣れは必要だが、通常の使用には特に問題無い。Thinkpad 600Eという、今となっては非力かつ貧弱なPCにインストールしていたのも原因かもしれないが、それでもこれだけの通話品質が保てるのなら上々。

会社のIP電話が調子悪いときは、これを使って会議ができそうだ。

2004年11月24日

味源、最後の一杯

新宿の味噌ラーメンの名店「新宿・源」が来週末(12/3)で閉店することになったらしい。
個人的好みがばっちり合う店で、いつ行っても安心して食べられる数少い店だけに、実に残念。

上京してから約10年。まだ店の名前が「味源」だった頃から食べ続けてきた。店舗も今の場所ではなく、隣の狭い所(今はジンギスカン屋)だった。初めの頃は味噌ラーメンのみ。最近は、ほどよい辛さのオロチョンを気に入って食べていた。この10年間で食べた味噌ラーメンの、9割以上がこの店で食べたものだろう。
一つの時代が終る、という感じがする。

以下、店内に掲示されているお知らせの転載。
此の度、当ビル立ち退きの為、12月3日をもちまして閉店致します。
創業以来15年間、元祖(旧味源)新宿・源を御愛顧頂きまして、誠にありがとうございます。
新宿・源の味を思い出されましたら、当店の支店、渋谷・壱源にお立ちより下さいませ。お待ち申し上げております。
今日は恐らく最後の一杯になるであろう「味噌ラーメン・大盛り」を頼んで、綺麗に食べてきた。
ん〜。寂しくなるなあ。

2004年11月23日

えびす講花火大会

長野市に冬の到来を告げる、毎年恒例のえびす講花火大会へ出かけた。

琉吾。
やはり花火は恐いらしく、なかなか注視しようとしない。
そのうちだんだん慣れてきて、「ホクト」提供のキノコ花火のときは、一発上がるたびに「きのとー!きのとー!」とかけ声をかけていた。年々慣れてきているようだ。

玲真。
花火はぜんぜん恐くないらしく、ごく普通に見ることができる。しかし、周りにいる人の方が気になるようで、なかなか花火を見ようとしない。一度、諏訪の花火に連れていってみたいものだ。

終る頃にはずいぶん冷えてきたけど、今年はあまり寒くなかった。よかったよかった。

どかーん。
23-01

2004年11月22日

玲真一歳

玲真が一歳の誕生日を迎えた。
あの、殺人的な寝不足の日々からもう一年。
22-01こんなのから、22-02こんなに大きくなった。

今では夜も(比較的)よく寝るし、食事は琉吾以上にがつがつ食べるようになった。人見知りも便秘もよくなり、乳児から幼児へのステップを着実に登っている。
琉吾というお手本ががいるおかげだろう。名前を呼んだら手を上げる、いただきます/ごちそうさまをする、といった事を、琉吾よりもずいぶん早くからやるようになった(ようするに人の真似をする)。これは弟の特権だろう。

玲真が産まれてから、家族4人でたくさんの事を経験してきた。二人の子供を育てることの大変さ、楽しさ、難しさ。琉吾のときとは明らかに違うことの連続。これまでうまくいっていたことが、これからもうまくいくこと、ということがほとんど無い毎日。ここまで決っして平坦な道ではなかったと思うけど、たくさんの周りの人たちに支えられながら、なんとかやってくることができた。

これからも、元気に育って欲しいと思う。親としても一緒に成長していきます。

誕生日ケーキは、長野のケーキ屋さんで。
22-03

プレゼントに帽子を買ってもらった。ぬくぬくだ。
22-04

2004年11月20日

家族写真完成

先日撮影してきた家族写真を長野への帰省がてら受け取りに行った。

6つ切りの大きな家族写真と、普通のスナップサイズの写真十数枚を小さなアルバムにしたものを注文。なかなかの出来栄えで、とっても満足。

決っして安いものではないけれど、それだけの価値があるものだと思う。
20-01

自然な雰囲気の中での撮影なので、表情が豊か。
20-02-s

家族揃っての写真撮影。毎年の恒例行事にしようと思う。

2004年11月19日

歩け歩け

玲真。いつの間に。

立って歩いて動画

22日で一歳。

2004年11月18日

おまるでまる

琉吾が夕飯を食べた後「お腹いた〜い」と言い出した。以前同じことを言っていたときはその後でンチをしていたので、もしやということでおまるに座らせてみることにした。

これまで何度となく失敗に終ってきた琉吾のトイレトレーニング。まあいつか取れますわ、と構えつつもどこかで大丈夫かなぁと心配している気持があったことは確か。

先日長野に帰省したときにトイレでちょっとだけンチをしたらしいのだが、出たものを見て「にく(肉)〜」と言ったのだとか。それからはまったく音沙汰無し。せっかくいただいたおまるも出番がなく、最近では玲真が座って遊ぶものになっていた。

そんなことを思い巡らせながら玲真と遊んでいたら突然、「でたー!」とかみさんの大きな声。見てみるとおまるの中に見事なンチが。おおーと驚きながら、賛美の言葉をあびせかける。えらい、上手、凄い、よくできた等々。

琉吾は最初のうちは自分がしたこと&出したものにびっくりしていた様子だったが、どうやら自分はいいことをしたらしいぞと認識したのか、段々と得意気な顔をして、自分に拍手。

おまる好きな玲真の方が先におむつ取れるかもー、なんて冗談を言っていたが、どうやら冗談で済みそう。

一つ残念なのはおまるが使用済みになってしまったので、玲真のお気に入りおもちゃが一つ無くなってしまったこと。

2004年11月17日

誤算ご飯

仕事で帰りが遅くなりました。
子供達には帰宅前に先にご飯をあげてもらいました。

帰宅と同時に風呂に入り、二人を寝かし付けた後でゆっくり大人がご飯を食べるつもりでした。

琉吾はあっさりと睡魔にやられてしまいました。

玲真がなかなか寝ませんでした。寝ませんでした。寝ませんでした。
結局玲真は大人二人を睡魔へのお供えものにして安らかな眠りにつきました。

大人二人が目覚めたときは、もう日が変わっていました。
結局ご飯を食べそびれてしまいました‥。

更新停止

更新停止のお知らせ。
今週はサーバーのメンテナンス作業のため、このページは更新されない予定です。
書き込み等もできません。
作業終り次第、突然更新し始めるかもしれません。

既に更新停止状態じゃないか、という声が聞こえてきそうですが。気にしません。
今月になって忙しさにかまけてろくに更新をしておりませぬ‥。

家族全員でずびずびと風邪をひいてますが、一応元気です。

↓なんの脈略も無い写真達。



まぁ、相変らずな二人です。

2004年11月16日

旺福

ひさしぶりにCDを購入した。どれくらいひさしぶりかというと、最後に買ったのは谷村有美のアルバムじゃないかしら?というくらいひさしぶりだ。

アーティストの名前は「旺福」。台湾の4人組バンドだ。

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先日の上海出張では土日をホテルでデバッグして過ごすということをしていた。
その時、音がないのも寂しいということでずっとテレビをつけていた。チャンネルはずっとに「Channel[V]」に固定。「MTV」みたいなもので、延々と流れ続けるチャイニーズポップスを聞きながらPCに向かっていた、というわけ。

言葉が分からないので完全にBGM状態ではあったけど、たまにおっと思うようなメロディーがあったり、なかなかあなどれない。

と、突然、それまで右から左に抜けていた曲がガツンと頭の中に入ってきた。な、なんだこれ?とテレビを見ると若い男女グループのPVが流れていた。言葉は相変わらず分からないので中国のアーティストであることは確かなのだけど‥。この耳に残る曲‥いい感じだなぁ。

慌ててグループ名を見つけるべく画面を見つめる。かろうじて読めたのが「旺福」の文字。
両方とも日本語で入力できる文字でよかった。Googleで検索したら、たくさんのサイトがヒットした。日本語で解説しているサイトもあった。

さっそくホテルの近所にあるデパートやCD屋に行き探してみると‥これが無い。ぜんぜん無い。

残念な気持ちを抱えながら帰国。日本で探してみるかと、いくつかのCD屋を巡ってみるも、チャイニーズポップスのCDはほとんど無い。韓国の歌手のCDはたくさんあるものの、「中国」となると「女子十二楽坊」があるくらい。むーん。

再度ネットを探し、やっと見つけたのが「オリエンタルムーン」。通販サイトながら、充実した品揃え。で、購入したのが以下の2枚。

18-02 ファーストアルバム「同名同姓専輯」。
間違ってもジャケ買いすることはないであろう。このデザインからは想像できない内容。ロックやパンク、アコースティック、ボサノバ風といろいろな曲があり、基本的に外れが無い。全体的に「お遊び」的な雰囲気があるものの、聴いていて楽しい一枚。

18-01 セカンドアルバム「旺福」。
ファーストアルバムより、ポップスの雰囲気が強い。「フレンチポップス」というのが近いのかもしれない。上海で見かけたのは、1曲目の「迷你裙」。

あぁ、台湾に行きたくなってきた。

2004年11月05日

一人暮らし最終日

そんなこんなで、二週間の一人暮らしも最終日。

仕事を終えたその足で新幹線に飛び乗り、お疲れサラリーマンたちと一緒に一路長野へ。高崎を過ぎる頃にはお疲れリーマンさんたちも下りてしまい、自由席はすっからかん。観光シーズンの狭間でもあるから、長野まで行く人は少い様子。

今、高崎。

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土日をまたいで上海出張に行っていたし、普通の日は遅くまで仕事をしていたしで、なんだかこの二週間はずっと仕事ばかりしていたイメージがある。実際、仕事以外で何してたか?といったら、

・飯食ってる
・ラーメン食ってる
・寝てる
・自転車に乗ってる
・電車に乗ってる
・飛行機に乗ってる
・これ書いてる

くらいなもんだ。

かみさんと二人で暮していた頃。
琉吾の出産のためにかみさんが長野へ帰ったときは、ひさしぶりの一人暮らしにワクワクする気持ちがあったことは確かだ。しかし、家族4人での生活に慣れてしまった今では、一人暮らしってかなりツマラナイ。玲真が歩いただの、バイバイするようになっただの、琉吾は相変らずとぼけているだの、「おなかすいちゃった」が口ぐせだのと子供たちの様子を聞かされると、ますますツマラナさレベルがアップしていく。

今、安中榛名。あんなかはるな。
「萌える駅名」としてあっち系には有名な駅。

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前回長野に帰ってきたときは、ちょうど新潟中越地震に遭遇したときだった。あのときは大きい地震が来たなぁと思っていたが、まさかこれほどの被害になるとは。
飯山線はまだ不通区間があるようだ。

コンビニで気がついたときには義援金箱にお釣りを入れているけど、こういうお金ってどのように使われていくのだろう。ちゃんと調べたことも無いけど、今の時代だから、どこかできっちりと情報公開はするのだろう。じゃないといろいろうるさいだろうから。

今、上田。

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さて。

「まもなく、終点、長野です」

2004年11月03日

ホコテン心理

家の掃除をしてから、のんびりと休日出勤。

休日の新宿通りは歩行者天国になっていた。アルタ前から明治通りを超えて新宿御苑前辺りまでが、夕方頃まで車の進入が禁止される。毎週日曜日と祝日が歩行者天国だ。

実はここの歩行者天国は結構好き。以前は南米系のバンドが演奏していてCDを売っていたり(それを買ってみたり)、大道芸を披露している人がいたり、「飼いならしたカラス」を見世物にしている怪しげなおじさんとか、休日出勤でヘココとした気持ちを和ませてくれるものがそこにはあった。

最近は取締りが厳しいのか、そういった人たちはあまり見かけなくなってしまったけど、普段は車通りが激しい新宿通りのド真ん中をスタスタと自由に歩けるということだけでも、結構な爽快感を味わうことができる。(周辺道路が普段以上に混雑しているであろうことには目をつむる)

しかし、ここの歩行者天国を歩いているといつも思うのは、道路の真ん中歩く人が実に少ないということ。ド真ん中を歩く人が少いのは分かるにしても、圧倒的に歩道(ホにアクセント)を歩いている人の方が多い。別に周辺のお店に入るわけでもなし。新宿東口から伊勢丹まで行く人たちが、わざわざ狭い歩道を歩いているのだ。

なんだろうこれは。

自分としては、

「せっかくの歩行者天国なのに道路を歩かないなんてもったいない」

という気持ちが強い。
しかし、なーんとなく、どこか後ろめたさを感じてしまうのも確かだ。普段は歩いちゃいけないところを歩いているという心理からなのだろうか。あまり道路の真ん中を堂々と歩いていると、周囲よりちょっと「ウいてる」気すらする。

そんな事を考えながら、道路の真ん中‥‥よりちょっと歩道寄りを歩いた。

2004年11月01日

帰国

月曜日の上海は雨。
一緒に上海入りした部長は一足先に土曜日に帰ってしまったので、一人でタクシーに乗って、浦東国際空港へ。そのまま特に何の問題もなく、無事に成田まで到着。

おつかれさんでした。

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初めて飛行機に乗ったのは何年前だったか‥。


「今から来て。最終の飛行機なら間に合うでしょ。」

夕方頃に来た一本の電話によって、翌日一人で行くはずだった福岡出張へ突然行くことになった。
着替えも持たず、仕事道具だけをカバンにつめて、慌てて出発‥あれ?そういえば空港ってどこにあるの?成田?羽田?どっち?どうやって行くの?登場手続きって何?‥てな状態であたふた‥。「おい、お前大丈夫か!?」と本気で心配されたりして‥。

あの頃に比べれば、ちょっとの不足の事態ではあまり動じなくなったなあ。
いろいろ経験するって素晴しいことだわ。